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BUAISO -Ⅰ-

7/22/2014


突然ですが、「行きたくてもなかなか行けない場所」というのは必ずしも遠方ではなかったりしませんか?私は数年前からずっと行きたかった場所が都内にあったのですが、なぜかなかなか機会に恵まれませんでした。しかし、先日ついに念願が叶いました。
その場所とは白洲次郎が戦中に移住し、晩年を過ごしたことで有名な「(旧白洲邸)武相荘」です。

#白洲次郎(1902-1985)
兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。 第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。その生き方と洗練されたスタイルゆえ「日本一カッコいい男」と近年再び注目を浴びている。






(小学生以下の子供が入場できない為)家族でいくことが出来ず機会を伺っていましたが、この方面での仕事にからめて遂に武相荘を訪れることができました。
駐車場に車を停めると、逸る気持ちを抑えながら林道を歩きます。





こちらが表門。以前にNHKで放送されたドラマ「白洲次郎」の世界がそのまま広がっていて思わず足が止まってしまいました。




車庫代わりの納屋には一台のクラシックカーが。。。
旧制第一神戸中学校時代に、父から買い与えられ乗りまわしていたアメリカ車 Paige Automobile(ペイジ・オートモビル)のGlenbrook(グレンブルック)の同型車です。
ケンブリッジ大学クレアカレッジに留学中、終生の友となる後の7代目ストラフォード伯爵ロバート・セシル・ビングと愛車のベントレー3リッターを駆ってジブラルタルまでヨーロッパ大陸旅行をしたのは有名なエピソードですが、晩年までポルシェを乗りこなすなど白洲次郎はクルマとの縁が深い人でした。

-次回に続く-